私が通う部署ではここ最近、行方不明事件が多発していた。
身代金目的の誘拐でもなければ、殺人事件でもない。
特別変わった事もないのに、ふらりと人がいなくなるのだ。
前日まで普通に仕事していた人が、ある日突然出社しなくなる。
行方不明者に、目立った特長はない。
平凡な、会社勤めの人ばかり。強いていえば、陽気な性格というくらい。
仕事でミスが多かったり、根暗な性格というわけでもない。
ただ、本当にいなくなるだけなのだ。
会社帰りに、まるでちょっと飲みにいくだけかのように。
また、事件の行方不明者は、見つからないわけではない。
失踪してから数ヵ月後、突然発見されるのだ。
発見者は、いずれも行方不明者の家族だ。
何事もなかったように、自宅に帰ってきたという話だ。
発見者の共通点をあげるとすれば、顔全体に、包帯を巻いているという事だけ。
家族が心配して問いただすも、気にしないでくれといわれるらしい。
また、家族の前では、包帯は決して取り外すことはないという。まるで、大火傷でも負ったかのように。
しかし、その割には、顔以外はいたって正常だというのだから、不思議だ。
そして、今私が仕事している席からも包帯顔の人は何人か見える。
誰も気にしているわけではなく、いつものように淡々と仕事をしている。
かなり仕事場としては異様な雰囲気を纏っているのだが……誰も何もいわないのだからいいのだろう。
嫌うよりは、憐れんでいるのかもしれない。明日は我が身とよくいうけれど。
取引先へ行っても、うまく仕事の話はまとまるから、すごいと思う。
包帯を巻いていなくとも、仕事が出来ない人はいるけれど。
その一人が、林君だ。
林君は私よりも、二年後に入社してきた後輩だ。
人柄もよく、書類仕事もお手の物なのだが、一つだけ欠点がある。
彼は、とびきり、無表情だった。
声は軽やかに笑っていても、顔の筋肉一つ動いていない。唇がもごもごと動くだけだ。
瞬きをしているのに、ひどく無機質に感じてしまう。
無表情というのは、かなりの迫力がある。
人によっては、舐められているのではないかと、怒りだす可能性もある。
おかげで、彼が取引先に行っても、十分の一くらいしか、まとまらない。
悪い人間ではないのだが、どうも癖になっているらしい。
私は配属されてから五年くらいたつが、彼が笑っているのを見たことがない。
そんな林君は、自分のデスクでスーツを整えていた。
顔を見ても、やっぱり無表情で。思わず凝視してしまった。
すると、私の視線に気づいたのか、彼が私の方を見た。
「あれー先輩。何見てるんですか?」
「なんでもないわよ。相変わらず、表情がないなって思っただけよ」
「ひどいですね。僕だって結構気にしてるんですよ?」
「だって、事実じゃない。ほら、仕事行きなさいよ」
デスクの向こうでは、部長が林君を睨み付けている。
無言で仕事に行けと催促しているようだ。言葉はなくとも眼力が語っている。
再び書類を鞄に詰め込み始める林君。
その様子がおかしくて、声を出して笑ってしまった。
笑う私をみて、ふと林君の動きが止まった。
「先輩の笑顔って、綺麗ですよね」
思い出したかのようにぼそりと呟いた。
顔を見ているはずの瞳は、どことなく虚ろに見える。
私の笑顔? 特に普通だと思うのだけれど。
普段笑わない彼からすると、珍しいのだろうか。
「何よ。別に私は普通の顔よ?」
「そこらへんの人よりは、綺麗な笑いかたですって」
「なんか、いまいち嬉しくないのだけど?」
それより――仕事行きなさいって。ほら、部長が私の方まで睨んでいるじゃない。
「くぉら、林! いい加減仕事に行かんかっ」
「うわっ。はいはい、行ってきますよ」
声だけは苦笑しながら、林君は出て行った。
「あいつはただでさえ、仕事がとれないというのに……大体……」
彼が仕事にでていった後も、しばらく部長はデスクでぶつぶつと呟いていた。
彼の首がつながっているのは、仕事に対する真面目さなのかもしれない。
今日の契約は成立するのだろうか、若干気になる。少し前にとったきり、契約が取れていないようだから。
林君も頑張っているのだから、私も頑張らないと。
少しだけ、先ほどの彼の様子が気になった。
虚ろな視線になってしまうほど、疲れているのだろうか。
彼も何処かへいってしまわなければいいけれど。
後輩がいなくなると寂しいというのもあるのだけど……
人が出入りが激しいので、常にここは人手不足なのだ。
考え事は、これくらいにしようかしら。
部長が未だに私を睨んでいるので、仕事に専念することにした。
次の日、私は欠伸をかみ殺しながら仕事をしていた。
最近残業ばかりで、肩こりがひどい。
それにやたらとクレーム処理が私のところに回ってきて、ストレスも溜まっている。
しばしばと瞬きをしながら、パソコンを見る……まだ半分くらいしか、できていない。
眠いと、仕事の効率まで下がってしまうらしい。
少し、休憩したほうがよさそうだわ。
ちらりと林君の方を見ると、何やら熱心に読書していた。
本の横には、大量の書類が積まれていた。どうやら仕事そっちのけで読みふけっているらしい。部長のデスクを見ると、席を外していた。
読んでいる本にはブックカバーがかけられていて、タイトルはわからなかった。
ただ、薄っぺらいものではなく、ハードカバーなのだろうとは厚さで分かった。
ついでに、林君の分も持ってこようか。
給湯室へいって、ブラックコーヒーを入れる。熱くて濃い目のなら、やる気もでるだろう。
紙コップを二つ抱えて、彼のデスクへと向かう。
私が後ろに立っても集中しているのか、気づく気配はなかった。
彼の肩を軽く叩いて、紙コップを差し出す。
「はい、林君。どうぞ」
「あ、先輩。どうもありがとうございます」
振り向いた彼は、本を片手で持ったまま受け取った。
何を読んでいるのかと、本を覗きこんでみたけど……その内容を見て、私は眼を丸くした。
「なに、林君ってこういうのが好きなの?」
「はい? ええ、これ系統は大好きですよ!」
覗きこんだページには、『呪術大特集』と書かれていた。
カラー写真がふんだんに使用されていて、釘が刺さったわら人形の写真なども乗せられていた。
その下には、白装束などもあった。
さらに写真の下にはフリーダイアルが書いてあった。
どうやら、通販雑誌のようだ。――それにカバーをかけるのもどうかと思うのだけれど。
「――林君も、買ったりするの?」
私が訪ねると、彼は嬉々として答えた。
「もちろん。この本で紹介してるものは、どれも本格的なんですよ。藁人形から、ヴィジャ盤、専用のお札とか、たくさんです」
「そ、そうなの。でも、そういうのって買ってどうするの?」
「大体は、コレクションですね。藁人形なんか、一つ一つ個性があって、かわいいですよ」
一瞬頭の中に、壁にびっしりと掛けられたわら人形を想像してしまった。
ちょっと所じゃなく、怖い気がする。おまけに、それぞれに名前までついていたら末期だ。
いらぬ心配をしている私に、林君は嬉しそうに話掛けてくる。
「恋愛成就の道具とかもありますよ。どうです? 先輩は」
「えっ。私は……いいわよ。仕事の方が大事だもの」
「つまらないですねえ。そんなに綺麗なのに」
林君は何かというと、すぐ私の事を綺麗という。私なんて、何処にでもいるような女なのにね。
「また、笑った顔が綺麗とでも言うのかしら?」
「顔だけじゃないですよ、全部です」
「あのねえ、綺麗ばっかりいわれても、嬉しくないわよ?」
そういうと、彼は驚いたような顔をした。
「じゃあ、美人とかですか?」
そういう問題じゃないという事に、彼は気づいていないようだ。安売りされてしまったら、価値は薄れてしまう。
不思議そうな声をして、彼はいう。
「女の人ってみんな、綺麗を欲しがっているじゃないですか。後は、褒め言葉とか」
もしかして彼は、女性がみんな、そうだと思っているのだろうか。
「まあ、私は違うからね? 他に欲しいものは、いくらでもあるわ」
「へえ。先輩の欲しいものって、何なんですか?」
「人に言うことじゃないでしょう? 林君は、どうなの?」
そうですねえ、と林君は腕を組んだ。
どうやら、考え事をしているようだ。とはいっても、少しうつむき加減の無表情だけど。
「僕にもありますよ。すごく、欲しいものが」
ゆっくりと、彼はいった。
「ねえ、先輩なら、どうします?」
「どうするって、何?」
「欲しいものがあるときですよ。どうしても手に入れたいものがある。
そういうとき、先輩ならどうしますか? 諦めますか?
それとも、手に入れるまで粘りますか?」
心の底から、欲しいと願うものがあったら、か……私なら、どうするかしら。手に入れたいとは思うけれど。
「きっと、私は途中で諦めちゃうわね」
「どうしてですか?」
「私は、欲しくても、手に入れるまでが大変なら諦めるわ。ずっと欲しがるのって、大変な事だもの」
手に入れるまでが長いと、私はたぶん面倒になってしまうから。淡白なのかもしれない。
もしかしたら、物に執着がないのかもしれないけれど。
「僕なら、絶対に手に入れますよ。たとえ簡単には手に入らなくても、絶対に諦めません」
「そんなに、欲しいものがあるの?」
「はい。何度でも、繰り返します。手に入るまで、です」
そうまでして、ひとつのものを求める事ができるなんて。
少しだけ、羨ましいと思った。
「さあ、そろそろ仕事しましょうよ、先輩。ほら、部長がまた怖い顔してますよ」
声だけで笑いながら、彼がそんなことをいった。
いつのまに戻ってきたのだろうかとデスクを見たが、姿はなかった。
もしかして、と思って振り返ると、背後に部長がいた。
無言でこちらを見ている部長は、恐ろしい。
ちらりと林君の本にも目を向けたが、それに関しては触れなかった。
おとなしくデスクに戻る。
パソコンには、作りかけの資料が表示されたままで。ひとつため息をついて、仕事を再開する。
窓の外を見ると、もう夕方になろうとしていた。今夜も早く帰ることは、できそうになかった。
ひたすら目の前の仕事を片付けて、時計を見ると十一時。
早く帰らなければと、身支度を整えて会社を出た。
空を見上げると、かなり分厚い雲に覆われていた。
駐輪場へ行き、暗い中手探りで鍵穴を探した。
鍵を差し、いざ出発しようとしたときだった。
タイヤが、ぐにゃりと沈んだのだ。まさかと思いつつタイヤを触ると。
見事に空気が抜けていて。ついてないけれど仕方がないので、暗い中を歩いて帰る。
自転車だと短い道も、徒歩だと結構な距離がある。人気のない夜道を歩いていると、不意に人影が現れた。
何処となくふらふらとしながら、こっちに向かって歩いてくる。
酔っ払いかしら、と思っていると、人影が喋った。
「あれ? 先輩ですか……もしかして」
「もしかして――林君?」
今の声には、聞き覚えがあった。影が近づいてきて、なんとか顔が見えた。
それは彼も同じだったようで。
「やっぱり先輩だ。どうしたんですか、こんな遅くに」
「残業がね、なかなか終わらなかったのよ」
「そうですか。夜道っていいですよねえ」
「そう?」
いきなり夜道がいいといわれても、反応に困ってしまう。
「はい。暗がりから、不審者が出てきそうじゃないですか!」
なんだか妙に彼のテンションが高いような気がする。隣を歩く彼の声は、なんだか楽しそうに弾んでいる。
彼は夜だというのに、ワイシャツ姿だった。
「さっき、ちょっと取ってきたんです。俺が欲しいもの」
恐らく書店にでも行って、オカルト雑誌でも買ったのだろう。
ふと、彼のシャツの汚れに気づいた。
黒い染みが点々とついていた。
「シャツ、どうかしたの? コーヒーでも零したのかしら」
「すごい、よく見えましたね、先輩。たぶん、さっきちょっと付いちゃったんですよ。気にしないで」
その格好で仕事していたのではないだろうけど……
彼のことだから、ありえない話ではないと思う。
不意に横から、がさごそという音が聞こえてきた。
彼が鞄を漁っているようだ。何か探しているのだろうか。
「先輩は……」
ぼそりと声が聞こえた刹那、いきなり私は引き寄せられた。
暗くてよく見えないけれど。
一般的な抱きしめられているような状態。
「なっ、いきなり何するの」
「先輩は、俺の欲しいもの、くれますか?」
え……? 今、彼は何と言った?
彼がいった言葉を理解するより早く。
胸に何か硬いものがめり込んで、燃え滾るようにそこが熱くなった。
熱さはすぐに痛みへと変わった。
何が何だか分からずにパニックになる。
「はやし君……今、何したの?」
よろよろと彼から離れ、自分の胸の辺りを探る。
生暖かく、ぬるりとした触感があった――血が、でているんだ。
そこでようやく、彼に刺されたということがわかって。
熱くて痛くて、だんだんと力が抜けていく。
そのまま私は道端に座り込んでしまった。
血を止めなければ、と焦っても、体は動かない。
そんな私に、彼がゆっくりと近づいてきた。出刃包丁のようなものを握り締めたまま。
くらくらしながら、私は彼を見上げる。ああ、耳鳴りがうるさい。
暗くなる視界の中、耳鳴りに混じって彼の声が少しだけ聞こえた。
「ねえ、先輩の――を俺にください」
俺は自宅に帰ると、背負っていたものを下ろした。
それは鈍い音をたてて、床へと転がった。
でたらめな格好で放置されたものには目も向けず、鞄からあるものを取り出す。
真っ赤な血に塗れたもの。俺が求めてやまないもの。
本当に手に入ったかどうか、どきどきする。いつだってこの瞬間は、最高に気持ちが昂ぶっている。
鏡の前にいき、顔に当てて眺めてみる。そしてその表情を見て、昂りは一気に怒りにも似た絶望へと変化していく。
……今回もダメだった。
それをゴミ箱へと投げると、欠片をまき散らしながら箱の中へと入った。
どうしてなんだろうか。
いつになったら手に入るのだろうか。
先輩なら、俺の一番欲しいものをくれると思ったのに。
あんなにきらきらと眩しい笑顔は初めてだから、こんなにも欲しいと願ったのに。
血に塗れた自分の無表情を見ながら、呟く。
「俺は、欲しいんだ」
何度奪っても、欲しいものには届かないと知っているのに。
「――笑顔が、欲しいんだ」
虚ろな顔や、泣き顔。根本的な美醜なんて関係がない。
怒った顔に、歪んだ、怯えた顔はもういらないんだ。
そんなもの、いくらあっても無意味なんだ。
無表情なのは、嫌なんだ。好きでこうなったわけじゃない。
自分を守るためには、こうするしかなかったんだ。
だから、だから……俺は。
握り拳を作って鏡を強く殴った。
甲高い音が聞こえて、鏡に映った俺の顔が歪んで……ああ、こんなにも俺は醜いのかと。
自嘲しながらも、この渇望は癒されることはなく。
――誰か俺に、笑顔をください。
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